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ウェストハム・ユナイテッド

《正式名称》 West Ham United Football Club
《ユニフォームカラー》 エンジ/水色/白

【本拠地】 ロンドン
【創立】 1895年
【スタジアム】 アップトン・パーク
【スタジアム収容人数】 35,595人

【国内タイトル】 FAカップ:3回、国内スーパーカップ:1回
【国際タイトル】 欧州カップウィナーズカップ:1回
【過去の所属選手】 ビク・ワトソン、ボビー・ムーア、ジョフ・ハースト、ビリー・ボンズ、トレバー・ブルッキング

【現在の会長】 テレンス・ブラウン
【現在の監督】 アラン・パーデュー
【現在の所属選手】 シェリンガム、ベナユン、ポール・コンチェスキー、レプカ、アントン・ファーデナンド

【昨季の成績】 国内2部リーグ2位

 数あるロンドンのクラブの中で最も著名な中堅クラブ。創設以来、いまだ国内リーグ戦のタイトルはないが、カップ戦での優勝や育成組織の充実はよく知られている。ロンドン東部に本拠を置くことから、チャールトンとの対戦はイーストロンドン・ダービーと呼ばれる。
 愛称である“Hammers”からも分る通り、1895年にテムズ鉄工所のチーム「テムズ・アイアン・ワークス」として設立されたのがこのクラブの始まり。1900年に「ウェストハム・ユナイテッド」に改称し、1904年には現在のアップトン・パーク(正式名称はボレイン・グラウンド)へと移転している。

 クラブ史において最初に特筆すべき成績を収めたのが1922-23シーズンで、2部リーグを2位で終えクラブ史上初の1部昇格を決めると共に、FA杯でファイナリストにもなった。(新築のウェンブリーで初めて開催された記念すべき決勝戦であった)
 当時のスター選手としては、1920~34年まで長く在籍し、リーグ・カップ戦含め505試合326得点という実績を残した伝説的なFWビク・ワトソンがいる。この通算得点記録は現在でもクラブ史上最多として破られていない。

 1923年のFA杯決勝進出以来、目立った成果を挙げられず、タイトルに手が届かないどころか1部でのプレーもままならない時期が続いたウェストハム・ユナイテッドだが、1960年代にはクラブ史で最高のときを過ごすこととなる。
 まず、1932年に2部へ降格してから20年以上1部に上がれずにいたクラブが、2部で優勝を飾り1部昇格を決めた1958年が一つ目の契機であろう。これはちょうど、数年後に生え抜きのスター選手としてキャプテンマークを巻くボビー・ムーアが17歳でデビューする年でもあった。
 次の契機は1961年、クラブ史上最高の名将ロン・グリーンウッド監督の就任である。なかなかスタメンに定着できずにいた若きDFボビー・ムーアを中核に据え、そのムーアと共に代表でも主軸を担ったFWジジョフ・ハースト、MFマーティン・ピータースを擁するチームは、以後、多くのタイトルを獲得していく。グリーンウッド監督の性質なのか、ウェストハムはとりわけカップ戦に強いクラブだったようである。

 1963-64シーズンのFA杯で念願の栄冠に辿りつくと、翌1964-65には国内スーパー杯から始まり欧州カップウィナーズ杯も制覇する。
 1965-66シーズンは国内カップ戦(イングランドのリーグ杯)における決勝進出にとどまるが、何といっても、このウェストハム黄金期を支えた生え抜きトリオ(ムーア、ハースト、ピータース)のハイライトといえば、1966年W杯イングランド大会であろう。キャプテンのムーア、決勝戦でハットトリックを成し遂げたハースト、同じく決勝戦で2点目を決めたピータース、いずれも地元でのW杯優勝に大きく貢献したのだった。
 偉大なるキャプテンとして知られるムーアは、この母国優勝によって1964年FA杯決勝、1965年欧州カップウィナーズ杯決勝(偶然にも会場がウェンブリーであった)、1966年W杯決勝と、3年連続で聖地ウェンブリーにおいて、それもキャプテンとして優勝カップを掲げた選手となったのである。

 これ以降はしばらくタイトルから遠ざかり、1970年にピータース、1972年にハースト、1973年にはムーアと長年クラブを支えた選手たちが抜けていくが、一方でクラブ歴代最多出場記録を作ったDFビリー・ボンズや同時期に活躍したMFトレバー・ブルッキングといった選手たちが台頭していき、チームを見守り続けているグリーンウッドの下、1975年には再びFA杯優勝を果たした。続いて1976年には欧州カップウィナーズ杯で決勝に進出するが、このときはアンデルレヒトの前に屈している。
 1977年に代表監督就任のためグリーンウッドがクラブを去り、1978年にはリーグ戦で2部落ちの憂き目に遭ったが、1980年には3度目のFA杯優勝、1981年には国内カップ準優勝と、相変わらずカップ戦では好成績を収めた。しかし、そういった状況も長くは続かず、1980年を最後に現在に至るまで久しくタイトルから遠ざかっている。1部リーグの下位と2部リーグの上位を行き来する中小クラブの枠組みに納まってしまっている感は否めないだろう。

 1990年代には、かつて選手としても活躍したハーリー・レドナップ監督の下、プレミア・リーグに定着するようになったが、彼らの順位以上に注目を集めたのがユース・アカデミー(下部組織)の質の高さである。とりわけトップリーグに所属するクラブともなれば選手の入れ替わりが目まぐるしい現代の欧州サッカー界において、その地道な手腕はひと際輝いている。
 1966年W杯優勝トリオから上に名前の挙がったボンズ、ブルッキング、ハーリー・レドナップに至るまで、ウェストハムのアプレンティス(練習生)からスタートしサッカー選手としてのキャリアを築いていった人間は非常に多いが、その流れは今も脈々と続いているのだった。
 騒がれる理由は、実際にウェストハム・ユナイテッド出身選手の名前を挙げるだけで事足りる。チェルシーのフランク・ランパード、ジョー・コール、マンチェスター・ユナイテッドのリオ・ファーディナンド、トッテナムのキャリック……。1990年代後半にウェストハムが生んだ選手たちは、現在ちょうどイングランドA代表を担う年齢になり、そのうち数人は2006年W杯のスタメン候補に名を連ねるまでになっている。

 ウェストハムのチーム事情もあり、彼らはそれぞれ高額で放出され、もう今は異なるクラブでプレーしているが、皆、同じロッカールームから巣立っていった。そういう意味では家族のような繋がりを持ったクラブだといえよう。
 ちなみに、フランク・ランパードは同じくウェストハムの下部組織出身選手であるフランク・ランパード・Snrを父に持ち、元監督のハーリー・レドナップも叔父に当たる人物。また、リオ・ファーディナンドの弟であるアントン・ファーディナンドが現在、ウェストハムに所属しているといったように、実際に血縁関係が目立つのもこのクラブの特徴だろうか。

 いずれにしても、近年2部落ちもあり好成績を挙げられていないトップチームの躍進が期待される。名門クラブの復活を期待するファンも少なくないはずだ。昨季は超ベテランの域に達しているシェリンガム、今季はスペインからイスラエル代表ベナユンなどを補強し、プレミアでの上位進出を目指しているが、さし当たっては長いスパンにおけるトップリーグ定着を果たしたいところである。