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ニューカッスル・ユナイテッド

《正式名称》 Newcastle United Football Club
《ユニフォームカラー》 黒/白

【本拠地】 ニューカッスル
【創立】 1881年
【スタジアム】 セント・ジェームズ・パーク
【スタジアム収容人数】 52,387人

【国内タイトル】 国内リーグ:4回、FAカップ:6回、国内スーパーカップ:1回
【国際タイトル】 UEFAカップ:1回
【過去の所属選手】 ジャッキー・ミルバーン、クリス・ワドル、ポール・ガスコイン、アンディ・コール、ピーター・ベアズリー

【現在の会長】 フレディ・シェパード
【現在の監督】 グレアム・スーネス
【現在の所属選手】 シアラー、オーウェン、ルケ、ダイアー、ギブン

【昨季の成績】 国内リーグ14位

 ニューカッスル・ユナイテッド(以下、ユナイテッド)はイングランドの北東部、スコットランド近くのタイン&ウェア県は、炭鉱と造船の街ニューカッスル・アポン・タインに本拠を置く古豪。一般的に“アポン・タイン”の部分は省略されニューカッスルと呼ばれているが、同じ地名が英語圏の各地域に複数存在するため、正式にはニューカッスル・アポン・タイン(以下、ニューカッスル)。
 炭鉱や造船のほかには、“The One and Only”というキャッチフレーズで知られる地ビールが有名。イングランドでも指折りのキャパシティーを誇るセント・ジェームズ・パークは丘の上にあり、地元ファンからは“神殿”と呼ばれ広く愛されている。

 クラブの愛称は、“Magpies(マグパイズ)”、もしくは“Dirty Skunks(スカンク)”だが、マグパイズとはカササギという黒白の鳥、スカンクもご存知の通り白黒の斑で、いずれもユニフォームの色に由来している。
 ライバル・クラブは近所のサンダーランドAFCで、ノースイースト・ダービー、またはタイン&ウェア・ダービーと呼ばれる両者の対戦は、イングランド屈指の熱いダービーとして知られている。タイン川沿いのニューカッスルに対して、サンダーランドはウェア川の河口に位置し、炭鉱と造船の街であること、クラブが古豪であること、ファン層が労働者階級であることなど、似ている部分が非常に多い。しかし、近年の実績や知名度ではユナイテッドが上回っているようだ。

 ユナイテッドはニューカッスル全人口の7割以上を占めるといわれる労働者階級のファン層を中心にに支持されているイングランド有数の人気クラブで、“Toon Army(ToonとはTown)”と呼ばれるサポーターは熱狂的で知られる。スタジアムにおけるユニフォーム着用率はリーグで1、2を争い、毎試合、セント・ジェームズ・パークの観客席の9割以上がシーズンチケットホルダーで埋まるのだそうだ。
 もちろん、シーズンチケットともなると高額で、値段は500万ポンド(約10万円)を下らない。数年前に、ユナイテッド・サポーターである10代の不良少年がそのシーズンチケット欲しさに様々な悪さを働くという内容のイギリス映画が日本でも公開されていたが、サッカーというスポーツがいかに浸透しているか、クラブがいかに強く支持されているか、を示すエピソードだろう。(映画の題名は「シーズンチケット」)
 また、英ロック界の大御所デビッド・ボウイが、ニューカッスルでの公演中に、ユナイテッドの黒白ユニフォームを振り回して観客を喜ばせていたという話もある。ちなみに、同じツアーのロンドン公演でそのパフォーマンスをしたときには、ユニフォームではなくユニオンジャック(英国旗)を手にしていたというのは面白い。こういったエピソードからは、ニューカッスルという街におけるユナイテッドの存在感を垣間見ることができよう。

 さて、ニューカッスル・ユナイテッドの歴史だが、その始まりは他のイングランドの名門クラブ同様、19世紀にまで遡る。まず1881年に「Stanley Cricket Club Of South Byker」のフットボール部門として創立し、合併や名称変更を重ねた末、1892年には現在の「Newcastle United FC」となった。早くから実績を残すことに成功し、20世紀の初頭には1905、07、09年に国内リーグ優勝、1910年にFA杯優勝を遂げている。

 1932年にも再びFA杯を制するがチーム力は安定せず、1934年には降格の憂き目に遭い、以後はしばらく1部でプレーできない状態が続いた。しかし、1943年、ユナイテッド史にその名を残す英雄“Wor Jakie”ことジャッキー・ミルバーンが登場すると、スタン・シーモア監督に率いられたチームが1948年に1部昇格を果たす。ミルバーンは地元の炭鉱出身で、1943~1957年の間にリーグ戦・カップ戦合計395試合199得点を記録したユナイテッド最大のヒーローだといえる。彼の活躍と同時に、クラブも多くのタイトルを獲得(1951、52、55年FA杯優勝)し黄金期と呼べる時期を過ごした。

 1960代に入ると振るわず1961年に2部降格、しかし持ち直すと1969年にはUEFA杯の前身であるフェアーズ杯優勝と、浮き沈みを繰り返すが、結局、イングランド国内では1955年のFA杯、欧州では1969年のフェアーズ杯を最後に、現在まで主要タイトルから遠ざかっている。
 1980年代の初めにはイングランドのみならず欧州を代表する名選手であるケビン・キーガン、ドリブルの名手クリス・ワドル、また中頃には愛すべき問題児ポール・ガスコインらが所属したことで知られた。

 チームが長い低迷から脱する契機となったのは1992年だろう。まず、ケビン・キーガンが今度は監督に就任する。そして2部にいたチームはシーズン途中に無名の若きアンディ・コールを獲得すると、彼の活躍もあり1993年に昇格を決める。
 そして迎えた1993-1994シーズンには1部でもアンディ・コールが大ブレイクし34得点を挙げ得点王に輝くと、イングランド代表ピーター・ベアズリーらも加わったチームは3位の好成績を上げ、一気に古豪の復活をアピールすることに成功したのだった。
 続く94-95は6位だったが、このシーズンオフにエースのアンディ・コールをライバルであるマンチェスター・ユナイテッドにイングランド最高の移籍金で引き抜かれる。この資金で95-96シーズンにはイングランド代表レズ・ファーディナンド(現代表リオ・ファーディナンドの従兄)やフランス代表ダビド・ジノーラらを獲得し2位、翌96-97シーズンには現在もニューカッスル・ユナイテッドの象徴であり続けているアラン・シアラーやコロンビアの奇才アスプリージャらを得て再び2位に入る。しかし、この栄冠に届かなかった2回が共に、アンディ・コール擁するマンチェスター・ユナイテッドによって阻まれたという事実は悔やまれることだろう。ちなみに、2部からチームを支えてきたキーガン監督は、96-97シーズン途中をもって辞任している。

 キーガン以後は、ケニー・ダルグリッシュ、ルート・フリットという元有名選手が監督を務めるが、再びチームが良い方向に進み出したといえるのは1999年にボビー・ロブソンが就任してからであろう。攻撃的なフットボールでファンを楽しませ、最初の2シーズンこそ中位を彷徨うが、2001-2002シーズンには4位、02-03には3位、03-04には5位と着実に強豪としての地位を固めた。この期間にはベテランの域に入っているシアラー以外にも、アイルランド代表GKギブン、ペルー代表のソラーノらが活躍し、また、ウェールズ代表のベラミー、イングランド代表のダイアー、ジェナスといった良質な若手が続々と登場している。

 しかし、04-05シーズン開幕直後のスタートダッシュに失敗するとボビー・ロブソンが解任され、チームは崩壊へと向かうこととなる。引き継いだグレアム・スーネス監督が現在もクラブを指揮しているが、数年前のレベルまでチーム力を上げられるかどうかは、今後1~2シーズンにかかっているといえるだろう。
 05-06シーズン前には、イングランド代表のオーウェン、パーカー、スペイン代表ルケ、トルコ代表エムレ、出戻りとなった人気選手ソラーノら、積極的な補強を行い、上位進出を目指している。ちなみに、チェルシーのロシア人アブラモビッチの影に隠れてはいるが、ニューカッスル・ユナイテッドの会長フレディ・シェパードも相当の富豪であるとの話である。