《正式名称》 Tottenham Hotspur Association Football Club
《ユニフォームカラー》 白/紺
【本拠地】 ロンドン
【創立】 1882年
【スタジアム】 ホワイト・ハート・レーン
【スタジアム収容人数】 36,240人
【国内タイトル】 国内リーグ:2回、FAカップ:8回、国内カップ:3回、国内スーパーカップ:4回
【国際タイトル】 UEFAカップ:2回、欧州カップウィナーズカップ:1回
【過去の所属選手】 ブランチフラワー、ジミー・グリーブス、アルディレス、グレン・ホドル、リネカー
【現在の会長】 ダニエル・リビー
【現在の監督】 マルティン・ヨル
【現在の所属選手】 ロビー・キーン、デフォー、ダービッツ、キング、ポール・ロビンソン
【昨季の成績】 国内リーグ9位
“スパーズ”の愛称で知られる国内有数の人気クラブであり、ロンドンを代表する名門クラブの一つ。日本のオールドファンの間では、初めて来日した海外のクラブとして記憶されている。
英国の首都ロンドンには数多くの有名クラブが存在し、現在もトッテナム以外にチェルシー、アーセナル、フルハム、チャールトン、ウェスト・ハムと、5チームがイングランドのトップ・リーグに所属している。
よってこれらのチーム同士の対戦は全て“ロンドン・ダービー”であるわけだが、数が多過ぎるため、地区ごとに分けて呼ばれることが多く、ノースロンドン・ダービー(アーセナル対トッテナム)、ウェストロンドン・ダービー(チェルシー対フルハム)、イーストロンドン・ダービー(ウェスト・ハム対チャールトン)、サウスロンドン・ダービー(ミルウォール対クリスタル・パレス)といったようになっている。
数あるロンドン・ダービーの中でも、とりわけ盛り上がるのが“スパーズ”ことトッテナムと“ガナーズ”ことアーセナルの“ノースロンドン・ダービー”で、両者の激しいライバル関係はロンドン随一であるといわれる。ちなみに、現在アーセナルの最終ラインを担っているイングランド代表DFキャンベルはその前にトッテナムに所属していて、彼が移籍したときに起こった騒動はまだ記憶に新しい。
隣のライバルクラブであるアーセナルと比較するとトッテナムは実績面で大きく劣るが、それでも人気面では長年しっかりと対抗してきた。というのも、今では嘘のように聞こえるかもしれないが、10年ほど前までは退屈なアーセナルに対してスパーズは華麗であるというのが一般的なイメージであったからだ。
かつてアーセナルはシーマン、アダムスら多くのイングランド代表守備陣を擁し手堅いサッカーを展開していたの対し、トッテナムはテクニシャンを多く揃えて魅力的なサッカーを披露していた。
しかし、アーセナルにベンゲル監督が就任してから事態は一変し、華麗なサッカーを繰り広げ常にタイトル争いに絡んでいるライバルを横目に、近年、トッテナムは低迷を続け、かつての両者のイメージはもう過去のものになってしまったといえるかもしれない。
また、90年代以降、ウェストロンドンの名門クラブ、チェルシーが好成績を残し続けていることで、ロンドン・ダービー=アーセナル対チェルシーという図式になってしまった感が否めないことは、トッテナムのサポーターにとって悲しいことであろう。
スパーズの歴史を辿ると、ホットスパー・クリケット・クラブを母体にホットスパーFCが設立されたのが1882年で、1884年にはすでに現在の名称になっていたといわれる。かつてこの地を支配していた貴族のあだ名が“ホットスパー(荒くれ者)”と呼ばれていたことがチーム名の由来であるとか。
非常に長い歴史と確かな伝統を持つトッテナム・ホットスパーではあるが、リーグ制覇の経験は僅か2回しかなく、前回の優勝も今から45年前になってしまっている。
トッテナム史において真の黄金期と呼べるのは恐らくその1960年代であろう。今でもトッテナムの伝説として多くのファンに愛されている偉大なる北アイルランド人MFブランチフラワーを中心に据えたチームは、1960-1961シーズンに国内リーグとFAカップを制し、20世紀初の「ダブルクラウン(2冠)」に輝いた。
クラブでも代表でも代えの利かないキャプテンだったブランチフラワーは、フィジカルに頼らない技術と頭脳を兼備した“イングランドには珍しいタイプ”のゲームメイカーであったというのは非常に興味深い。
スパーズは翌年、イングランド代表の歴史上で一、二を争う点取り屋として名高いジミー・グリーブスを加え、FAカップを、さらに次の年にはクラブ初となる欧州カップ(欧州カップ・ウィナーズ・カップ)をそれぞれ獲得した。
1964年に38歳のブランチフラワーが引退すると勢いを落とすが、もう一人の偉大な北アイルランド人であり、栄えある英国史上でもベストGKの一人に数えられるパット・ジェニングスが加入し、1967年にFAカップ優勝を遂げると、1970年にはウェストハムからイングランド代表の名MFマーティン・ピータースを獲得し、1971-1972シーズンにはUEFAカップも制覇している。
1970年代から1980年代には国内外でいくつかのカップ戦タイトルを獲得し、1960年代前半ほどでないにしても輝かしい時期を過ごしているのは確かだろう。とりわけ、アルゼンチン人MFアルディレスやスパーズのアイドルとして10年以上君臨したグレン・ホドルらを擁した1980年代前半のチームは2回のFAカップ優勝と1回のUEFAカップ優勝を遂げると共に、そのインテリジェンスに溢れたサッカーで多くのファンを魅了した。
クレバーでテクニカルなプレースタイルが持ち味であったアルディレスに関してよく語られるのは“イングランドの地で成功した本当に数少ない南米選手”であるということと、ファンに非常に愛された選手であったということだが、フォークランド紛争(イングランドとアルゼンチンの間で争われた)の勃発で彼が一時フランスへ移籍してしまったとき、トッテナムのホーム・スタジアムに「フォークランドはくれてやるからオジーを」なる横断幕が張られたという話はそれを端的に表す有名なエピソードである。
1980年代後半になるとニューキャッスルでコンビを組んでいた“イングランド人らしくない二人の選手”ドルブルの王様クリス・ワドルと愛すべき問題児ポール・ガスコインが次々に加入し、魅力的なサッカーを展開した。後に移籍してきたガスコインは、ワドルが去ってから加わったリネカーとも絶妙なコンビを組み、1991年にはFAカップ優勝を遂げている。
1990年代には、「ブロンドの隼」ことドイツのクリンスマン(現在の独代表監督)や、華麗なドリブラーでピッチを彩り私生活においても英国人を唸らす紳士として名を馳せたフランスのジノラといった外国人スター選手が所属し、それぞれリーグ最優秀選手に輝くほどの活躍をしている。イングランド代表クラスでは、テディ・シェリンガムやダレン・アンダートン、レス・ファーディナンドなどの面々がいた。
21世紀に入ると目立った成績を上げるどころか、毎シーズン、優勝に絡まない中堅チーム的なポジションにおさまり続けていて、ファンの期待を裏切っている。今季はまだ始まったばかりだが、ジェナス、ダービッツ、李栄杓らを補強し、今のところリーグで良い位置につけていて、久々に上位進出の可能性が見えてきているといえよう。