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《正式名称》 Liverpool Football Club
《ユニフォームカラー》 赤
【本拠地】 リバプール
【創立】 1892年
【スタジアム】 アンフィールド・ロード
【スタジアム収容人数】 45,362人
【国内タイトル】 国内リーグ:18回、FAカップ:6回、国内カップ:7回、国内スーパーカップ:12回
【国際タイトル】 欧州CL:5回、UEFAカップ:3回、欧州スーパーカップ:3回
【過去の所属選手】 エムリン・ヒューズ、ケビン・キーガン、ダルグリッシュ、イアン・ラッシュ、ジョン・バーンズ
【現在の会長】 デビッド・ムーアズ
【現在の監督】 ラファエル・ベニテス
【現在の所属選手】 ジェラード、キャラガー、シャビ・アロンソ、ルイス・ガルシア、モリエンテス
【昨季の成績】 国内リーグ5位、欧州CL優勝
リバプールFCはその名の通りビートルズを生んだ都市リバプールに本拠を置き、レッズの愛称で世界的に有名なビッグクラブで、イングランド国内においては1、2を争う名門クラブだといえる。
同じリバプール市のライバル・チームはエバートンだが、実績的には国内屈指の強豪マンチェスター・ユナイテッドが最大のライバル的存在であり、現に両者の対抗意識は非常に強く、これは数十年の間、お互いの選手を直接移籍させていないことからも分かる。
とはいえ、元々カトリック系中心だったといわれるコップス(リバプール・サポーターの呼称)とプロテスタント系だったといわれるエバトニアン(エバートン・サポーターの呼称)のライバル関係も強烈で、マージーサイド・ダービーはイングランド有数の激しさで知られている。
元来、ラグビーやテニスに比べサッカーはイングランドで庶民のスポーツ、生活の一部として発展してきたが、リバプール市の両サポーターの中では、コップスのほうがより労働者階級の色が濃いといわれている。
少し話は逸れるが、赤いユニフォームのリバプールFCと青いユニフォームのエバートンが、ビートルズの著名な2枚組ベスト・アルバム赤盤・青盤の由来になっているとかいないとか。ちなみにポール・マッカートニーは家族が揃ってエバートンのファンだったのでグディソン・パークに何度か足を運んだというし、一方、ジョン・レノンは好きな人物としてリバプールのセンタフォワードだったアルバート・スチュービンスを挙げていたのだという話。
こういったエピソードの数々は、いかにサッカーというスポーツがイングランドという国の奥深くに馴染んでいるかを端的に表しているともいえるだろう。
長い歴史を持つイングランド・サッカーにおいて、最多のリーグ優勝回数を誇るリバプールFCだが、意外にも彼らが国内指折りのビッグクラブとして認識されるようになったのは1960年代から。
1950年代のほとんどを2部で過ごし低迷に喘いでいたリバプールだが、1959年に“マージー・メシア”(マージー川の救世主)と呼ばれる伝説的な名将ビル・シャンクリーが監督に就任すると、3シーズンで1部に昇格し、1964年には国内リーグ制覇まで辿り着く。
翌1965年にクラブ史上初となるFAカップ優勝を果たすと勢いは止まらず、1966年には再び国内リーグを制すると同時に欧州カップウィナーズカップでも準優勝を遂げ、1973年にはUEFAカップ決勝でネッツァー、ボンホフ、ハインケス、フォクツらを擁するタレント軍団ボルシアMGを破り欧州の舞台にもその名を知れ渡らせた。
シャンクリーは1974年に退官するまでの期間、リバプールに多くの栄冠(国内リーグ3つ、FAカップ2つ、UEFAカップ1つ)をもたらしたが、タイトルの数以上にその育成手腕は評価されるべきだろう。ロジャー・ハント、ジョン・トシャック、レイ・クレメンス、ケビン・キーガンといった無名選手をトップレベルに育て上げることでチームを強化したという方法は、シャンクリー以後、1950年代からシャンクリーのアシスタントを務めていた右腕ボブ・ペイズリーやジョー・フェイガンが監督になってからも引き継がれ、クラブに数え切れないほどの優勝カップを運んだ。
“マイティ・マウス”の愛称で知られるイングランド人ケビン・キーガンの活躍で1976-1977シーズンに欧州チャンピオンズカップ初優勝を飾ったリバプールだが、翌シーズンには、移籍したキーガンの後釜として加入したスコットランド人ダルグリッシュが機能し再び欧州王者に輝き、ウェールズ人の英雄イアン・ラッシュが徐々に力を見せ始めた1980年代前半にもこのタイトルを2回獲得したことで、優勝カップの数は欧州でレアル・マドリッドに次ぐ2番目、イングランドでは最多となった。
この時代のリバプールでは、キーガンやダルグリッシュの他にも、1970年代のリバプールとイングランド代表を主将として支えた“クレイジー・ホース”ことエムリン・ヒューズや、テリー・マクダーモット、グレアム・スーネスといったスター選手がプレーしている。
1970~80年代の20年間で、国内リーグ10回、FAカップ3回、国内カップ4回、欧州CC4回、UEFAカップ2回を制し、まさに世界のサッカー史に残る黄金期を過ごしたリバプールだが、連覇を目指し決勝まで駒を進めていた1984-1985シーズンの欧州CCで起こった惨事により、その栄光は衰退していくこととなる。
1970年代後半から1980年代前半は、欧州最高峰の舞台であるチャンピオンズカップで4回優勝を飾ったリバプールFCの黄金期であると同時にイングランド・サッカーの絶頂期でもあった。1977年から1984年まで欧州CCの8大会で、イングランドのクラブ以外が優勝したのは、わずか1度しかなく、特に1977~1982年の期間は6大会連続でイングランド勢が制していたのだった。
あらゆる意味で勢いに乗るイングランドを欧州中のサッカーファンが恐れた。しかし、彼らが欧州中から恐れられた理由は、ピッチ上のパフォーマンスだけではなくて、サポーターたちの凶暴さからでもあった、“フーリガン”である。
1985年、欧州CC決勝戦直前に、荒れたリバプール・サポーターが相手側のユベントス・サポーター席に雪崩れ込み、39人の死者を出すという「ヘイゼルの悲劇」が起こったことで、イングランドのクラブは5年間、欧州カップ出場権を剥奪されることとなった。
黄金期の真っ只中にあったリバプールは、この年以降も国内ではいくつかタイトルを獲得するが、1989年にまたもサポーター関係の暴動で96人のファンを亡くしてしまい、1990年代に入るとイアン・ラッシュやジョン・バーンズなどの人気選手を擁すもタイトルから遠ざかり始め1980年代の栄光は過去のものとなる。
近年は、ファウラー、マクマナマン、オーウェン、キャラガー、ジェラードら代表レベルの優れたタレントを多く輩出し、1997~2004年にはフランス人監督ジェラール・ウリエの下、いくつかのカップ戦タイトルを獲得したが、欧州のビッグクラブにとって2大タイトルである国内リーグと欧州CLの優勝には届かずにいた。
しかし、2004-2005シーズン、バレンシアからスペイン人の名将ラファエル・ベニテスを引き抜くことに成功すると、下部組織出身のエースであったオーウェンを放出するなどの荒治療を施し、クラブにとって21年ぶりとなる欧州CL優勝を達成している。
ラテン圏から多くの外国人選手を加えたベニテスのリバプールはまだまだチームとして発展途上であるとも見られているが、新キャプテンとなったジェラードらを筆頭に若返りが進んだことで、彼らの今後のさらなる成長が期待されている。