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マンチェスター・ユナイテッド

《正式名称》 Manchester United Football Club
《ユニフォームカラー》 赤/白

【本拠地】 マンチェスター
【創立】 1878年
【スタジアム】 オールド・トラフォード
【スタジアム収容人数】 68,190人

【国内タイトル】 国内リーグ:15回、FAカップ:11回、国内カップ:1回、国内スーパーカップ:12回
【国際タイトル】 欧州CL:2回、欧州カップウィナーズカップ:1回、欧州スーパーカップ:1回、インターコンチネンタルカップ:1回
【過去の所属選手】 ボビー・チャールトン、ジョージ・ベスト、ブライアン・ロブソン、エリック・カントナ、デビッド・ベッカム

【現在の会長】 マルコム・グレイザー
【現在の監督】 サー・アレックス・ファーガソン
【現在の所属選手】 ファン・ニステルローイ、ルーニー、ギグス、スコールズ、リオ・ファーディナンド

【昨季の成績】 国内リーグ3位

 “レッド・デビルズ(赤い悪魔)”の愛称で世界的に知られるイングランド屈指のビッグ・クラブ。もともとイングランドを代表する有名クラブであったが、1990年代にピッチ上で素晴しい成功を収めると共に、計画性と先見性を備えたマーケティング戦略で規模を拡大しアジアや北米といったサッカー未開拓地域にファンを獲得したことで、現在は世界で一、二を争う人気を誇るようになった。

 そのためグッズ収入なども多く、また、ベッカムやギグスらの全盛期には“シアター・オブ・ドリームズ(夢の劇場)”と呼ばれた大型ホーム・スタジアム“オールド・トラフォード”の集客数も常に安定していて、世界で最も裕福なクラブともいわれている。
 実際、アメリカの総合ビジネス誌「Forbes(フォーブス)」が発表する世界のサッカー・クラブの資産価値ランキング、収益ランキングでも毎年、レアル・マドリッドらを抑え首位をキープしているようだ。
 株式市場に上場しているため、今年、アメリカ人の実業家マルコム・グレイザーに買収されたが、長い歴史を持つクラブだけに地元サポーターの反対運動も大きなものとなり、現在も続いている。

 国内最大のライバルは“レッズ”ことリバプールだが、近所のライバルは水色のユニフォームを着用するマンチェスター・シティであり、通称“ユナイテッド”と呼ばれるマンチェスター・ユナイテッドが全国区の人気を誇るのに対して、地元ファンがほとんどであるマンチェスター・シティは“マンチェ”と略されることが多い。
 蛇足だが、英国の有名な音楽バンドであるマンチェスター出身のオアシスのメンバーは、マンチェスター・シティのサポーターを公言し、クラブに出資までしているという話で、一方、オアシスのライバル的存在であるロンドン出身のブラーのメンバーはユナイテッド・ファンであるというのは興味深い。イングランドでは庶民にとってもロック・スターにとっても、サッカーが生活の一部であるようだ。

 さて、ユナイテッドのクラブ史を振り返ると、1878年に地域の鉄道労働者が「ニュートン・ヒース・ランカシャー・アンド・ヨークシャー・レイルウェー・カンパニー・クリケット・アンド・フットボール・クラブ」として設立したのが始まりで、1902年に運営母体が変わったことにより現在の名前「マンチェスター・ユナイテッド」となった。第二次世界大戦前の数十年間で幾つかのトロフィーを獲得してはいるが、強豪として数えられるようになったのは1945年にスコットランド人サー・マット・バスビー監督が就任してからだろう。

 伝説的な名将に率いられたチームは、1948年のFAカップ優勝を皮切りに1951-1952、1955-1956、1956-1957シーズンに国内リーグを制覇して、イングランドにおいては確固たる地位を築いた。そしてどこの国の強豪クラブもそうであるように、国内を制したユナイテッドは、1955年に設立されていた欧州チャンピオンズカップへの挑戦に向かうことになる。
 しかし、1958年、チャンピオンズカップのレッドスター戦から帰国途中にミュンヘンで飛行機事故に遭い、レギュラー8人の命を奪われてしまったバスビーの第一次ユナイテッドは再スタートを切らざるをえなくなってしまう。(「ミュンヘンの悲劇」と呼ばれている。皮肉にもこの事故によってユナイテッドはイングランド中にファンを有するクラブとなった。)

 1958年以前のバスビーのユナイテッドを第一次としたのは、ダンカン・エドワーズら多くの選手を失いチームは壊滅したにもかかわらず、奇跡的に生き残ったバスビー監督や若きボビー・チャールトンらを軸として、数年後に見事な復活を遂げたからである。デニス・ローやジョージ・ベストといったスーパースターを加えつつ、バスビーの第二次ユナイテッドは再び力を付けていき、バスビー・ベイブス(バスビーの子供たち)の愛称で親しまれたチームは1963年にFAカップ、1964-1965、1966-1967シーズンに国内リーグで優勝を果たした。
 そして迎えた1968年のチャンピオンズカップ、ミュンヘンの悲劇からちょうど10年後にあたるシーズンに決勝進出を果たし、強豪ベンフィカ相手に延長へもつれ込む熱戦(90分1-1、延長3-0)を繰り広げた末、イングランドのクラブでは初となる念願の欧州チャンピオンズカップのタイトルを母国に持ち帰ることとなったのだ。
 バスビー初タイトル(1948年のFAカップ)から20年、ミュンヘンの悲劇(1958年の事故)から10年越しの栄冠、このドラマチックな成功により、ユナイテッドはイングランドだけでなく世界的な人気クラブとして認知されるようになったと言われている。

 この後、偉大な監督や選手が去ったことでクラブは少し足踏みし、1975年には2部落ちを経験するなど、低迷に耐え、もう一人の偉大な監督の出現を20年近くも待つことになるのだった。
 現在も監督を務めているサー・アレックス・ファーガソンがその職に就いたのは1986年11月、来季の初めで20年間が経とうとしている。
 今でこそタイトルとお金とスターに満ちたビッグクラブというイメージのあるユナイテッドだが、サー・アレックスが就任した頃のクラブは、バスビー以後、リバプールやノッティンガム・フォレスト、アストン・ビラが次々に欧州チャンピオンになる中、低迷を続けていた古豪で、1975年には2部落ちの屈辱を味わい、1980年代のイングランド代表とマンチェスター・ユナイテッドを支えたブライアン・ロブソンの登場でやっと盛り返してきつつも国内リーグ優勝には手が届かないという状況だった。
 しかし、“ファギー”ことファーガソンが監督に就任するとクラブは徐々に力を付けていき、1990年にFAカップ、1991年に欧州カップウィナーズカップ、1992年に国内カップをそれぞれ制し、いよいよ1992-1993シーズン、リーズからエリック・カントナを迎え入れることとなるのである。

 偉大なる名将に加えて偉大なるカリスマを得たユナイテッドはそのシーズンに、バスビー・ベイブス以来となる26年ぶりの国内リーグ優勝を飾り、黄金期の幕明けをアピールした。
 一番上にあるマンチェスター・ユナイテッド全獲得タイトルのうち、ファーガソン時代のものを挙げると国内はリーグ:8回、FAカップ:5回、国内カップ:1回、スーパーカップ:5回とほぼ半分にあたり、国際タイトルに至っては1967-1968シーズンの欧州CC以外は全てファギー時代のものなのだ。サー・アレックスの功績を示すに十分過ぎる数字である。

 この成功について語るとき、サー・アレックス、カントナと共に避けては通れないのが、下部組織の充実とそこから育った選手たちの活躍であろう。「ジョージ・ベスト2世」ライアン・ギグスのデビューを皮切りに、お馴染みのベッカム、スコールズ、バット、ネビル兄弟といった若者たちの成長と共に、1990年代のユナイテッドは栄光の階段を上っていったといってよい。
 彼らが、孤高の天才カントナの背中から多くを学び、偉大なキャプテンであるロイ・キーン、欧州最高のツートップと恐れられたアンディ・コールとドワイト・ヨーク、オランダの巨漢ヤープ・スタム、世界最高の守護神といわれたシュマイケルら優れた外国人選手と共に活躍しながら、日に日に力を伸ばしていく姿は、世界中でサッカーファンを魅了したに違いない。

 現在もファン・ニステルローイ、ルーニー、クリスチアーノ・ロナウド、リオ・ファーディナンドといったスター選手を擁するイングランドの強豪マンチェスター・ユナイテッドではあるが、黄金期の真っ只中を歩んだギグス、ベッカム、スコールズらの世代が衰えや移籍によってチームから離れつつあり、それと同時にタイトルからも遠ざかっているという事実は、長く見守ってきたファンにとって寂しいことであろう。