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チェルシー

《正式名称》 Chelsea Football Club
《ユニフォームカラー》 青

【本拠地】 ロンドン
【創立】 1905年
【スタジアム】 スタンフォード・ブリッジ
【スタジアム収容人数】 42,449人

【国内タイトル】 国内リーグ:2回、FAカップ:3回、国内リーグカップ:3回、国内スーパーカップ:3回
【国際タイトル】 欧州カップウィナーズカップ:2回、欧州スーパーカップ:1回
【過去の所属選手】 ロイ・ベントリー、ジミー・グリーブス、ボビー・タンブリング、ピーター・ボネッティ、ロン・ハリス

【現在の会長】 ロマン・アブラモビッチ
【現在の監督】 ジョゼ・モウリーニョ
【現在の所属選手】 ランパード、テリー、マケレレ、ドログバ、ツェフ

【昨季の成績】 国内リーグ1位、国内リーグカップ優勝

 ロシア人の石油王アブラモビッチの買収によって、ここ数年で一気に主役の座に躍り出た“ブルーズ”ことチェルシーだが、歴史的に見るとリバプールやマンチェスター・ユナイテッドには遠く及ばず、ロンドンの強豪のうちの一つにしか過ぎない。しかし、大型補強の成果もあって昨季は名将モウリーニョ監督の下、50年ぶりにクラブ史上2度目となる国内リーグ優勝を果たすなど、その勢いは増す一方で、今後も一層の躍進が期待されている。

 一般的にアーセナルは労働者階級のファン層を持ち、チェルシーは富裕階級のファンに支持されることが多いといわれているが、これは正しいようで、実際、ロンドンの政治家や財界の大物は揃ってチェルシー・ファンを名乗るし、そもそも、この問題はそれぞれのスタジアムに集まる観客を眺め比べれば簡単に納得してしまうだろう。
 同じロンドンに本拠地を置くとはいえ、ハイバリーのあるノースロンドンは下町であり、一方、スタンフォード・ブリッジのあるウェストロンドンは高級住宅地なので、その場所柄がファン層に影響しているとも考えられる。
 ちなみに、かつては、チェルシーファンというと一部に凶暴な極右サポーターがいることで知られていた。しかし、90年代以降は、プレミアリーグ全体がスタジアムの整備に力を入れてきたため、現在、こういったテーマが話題に上ることは少ない。

 ロンドンダービーというと対アーセナルを思い浮かべるかと思うが、現在、ロンドンに本拠地を置くクラブはプレミア・リーグだけでも6つ所属していて多くのロンドン・ダービーが存在するので、チェルシーであれば同地区の対フルハム戦はウェストロンドン・ダービーとして他の対戦と分けられる。
 とはいえ、やはり昨今のロンドンにおける覇権争い、という意味で、アーセナルとの対戦が一番盛り上がっていて、ベンゲル監督就任以来マンUとプレミアを引っ張ってきた“ガナーズ”とアブラモビッチ・オーナーとモウリーニョ監督が率いる新生“ブルーズ”の試合は世界的にも注目されるダービー・マッチとなっている。

 ウェストロンドンのフルハム地区に1905年、フルハムに1年だけ遅れ誕生したチェルシーだが、実績面では完全にフルハムをリードし、ロンドン有数のクラブとして現在まで歩んできた。しかしイングランドを代表するクラブかと聞かれれば「ノー」と答えざるを得ず、とりわけ国内リーグの優勝回数ではリバプール、マンチェスター・ユナイテッド、アーセナルらに大きく引き離されていて、人気や知名度のわりにタイトルの少ないロンドンの名門クラブの一つ、くらいの表現が的確である。

 長い歴史を誇るイングランドサッカー界で、チェルシーが初めてスポットライトを浴びたのは、おそらく1915年のFAカップだろう。このときは決勝進出を果たし、シェフィールド・ユナイテッドに破れはしたが、準優勝を遂げた。国内リーグでは1920年に3位になったが、以降は1950年代まで目立った成績を残していない。再びFAカップ決勝の舞台に姿を現すことはなく、国内リーグにおいては二桁順位の常連であり、1924年~1930年の期間に至っては2部リーグで過ごしている。

 第二次大戦後の最初のシーズン、1946-47にはイングランド代表FWトミー・ロートンが26得点を挙げたが、チームは15位に終わった。ロートンはわずか2シーズンでスタンフォード・ブリッジを去っている。しかし、その後釜として1948年に加入したロイ・ベントリーは、8シーズン所属し、クラブのアイドル選手として活躍をした。国内リーグでは下位から抜け出せずにいたチェルシーだが、まず1950年と1952年にFAカップのベスト4に進出する。これらの準決勝はいずれも再試合の末、アーセナルに敗れたものだった。

 1952年、長くチームを率いていたウィリアム・ビレルが退任すると、元アーセナルの名選手である当時40歳のテッド・ドレイクが監督に就任する。選手時代に多くのタイトルを獲得してきたドレイク監督は、長くリーグの下位に甘んじているクラブの建て直しに着手していった。結果はすぐに表れ、2季目の1953-54シーズンに、国内リーグで18年ぶりとなる一桁順位(8位)という好成績を残す。そして迎えた54-55シーズン、グレイク監督の下、前述のFWロイ・ベントリーやキャプテンを務めたDFジョン・ハリスらを擁するチームは、クラブ史上初のリーグ優勝を遂げたのだった。

 1955年に念願の国内リーグ制覇を果たしたチェルシーだが、以降はまた二桁順位を彷徨うクラブへと逆戻りしている。1957年には地元出身でイングランド代表史上最高のストライカーの一人に数えられるジミー・グリーブスがデビューし、翌シーズンには33得点を挙げ得点王にも輝いたが、チームが再び上位に顔を出すことはなかった。グリーブスは1961年にイタリアのACミランに引き抜かれ、頼みの綱を失ったチェルシーはその1961-62シーズンに2部落ちの屈辱を味わうこととなる。

 1962年、2部で抜本的なチーム改革を図るため、チェルシーは弱冠33歳の青年監督トミー・ドカティーに命運を委ねた。これが功を奏し、1シーズンでトップリーグに戻ったチェルシーは以後、1部で安定した成績を収めるようになる。1960、1961年にFAユースカップを連覇した若い選手たちを多くデビューさせ、新しいチームへと生まれ変わらせたのだった。
 1963-64シーズン、1部に復帰したチームは国内リーグで5位という好位置まで登りつめ、64-65シーズンには国内リーグ3位、FAカップ準決勝進出、リーグカップ初優勝という素晴らしい成績を挙げる。若く勇敢なチェルシーは、翌65-66シーズンにも国内リーグ5位とFAカップ準決勝進出、さらには欧州フェアーズカップでスペインのバルセロナに破れはしたが、準決勝進出を果たした。

 以後も1970年代前半まで国内リーグにおいて一桁台の上位を維持し続けるなど、チェルシーというクラブがイングランドリーグでしっかりとした地位や知名度を築いたのはこの時期だったといえる。主要選手としてはロン・ハリス、ピーター・ボネッティ、バリー・ブリッジス、ボビー・タンブリング、テリー・ベナブルス、さらにはチャーリー・クック、ピーター・オズグッドらがいた。
 1967年にはトミー・ドカティーの下でコーチをしていたデイブ・セクストンが監督を引き継ぐが、大幅な変更はなく、チームもそれまで通り上位に顔を出していく。そして熟成したチームはとうとう1970年にFAカップで初優勝を飾るのだった(国内リーグでは3位)。この成功はこれだけで終わらず、翌シーズン、イングランドのカップ王者として初出場した欧州カップウィナーズカップでも初優勝という最大の栄誉で締めくくられる。決勝で倒した相手はあの名高きレアル・マドリードであった。

 10年近く安定した実力を発揮してきたチェルシーだったが、1973年には久々に国内リーグで二桁台の12位にそのポジションを落とす。さらに翌シーズンには17位にまで下がり、デイブ・セクストンが去ると、チームはそれから長く続いていく低迷期へと突入し、この影は1990年代にまで及んだ。1905年の創立から1974年まで約70年間で、チェルシーの監督を務めた人物は僅か7名しかいない。しかし、1974年から1993年の20年間には、新たに9名が歴代監督リストに加わったのだった。

 財政的に行き詰まっていたクラブは、1980年代にケン・ベイツ会長によって買収される。なかなか安定して力を発揮できない状態が続いたが、1990年代に入ってからは2部へ降格せず、しっかりと1部に残ることができるようになった。1993年に元イングランド代表MFグレン・ホドルが監督に就任すると、国内リーグでこそ中位にいたが、1994年にFAカップで準優勝し、1995には欧州カップウィナーズカップで準決勝進出を果たす。

 1996年にホドルをイングランド代表監督へ送り出すと、今度は1995年からチームに加わっていたオランダの名手ルート・フリットが選手兼監督に就任。イタリアからビアリ、ゾラ、デ・マテオ、フランス代表ルブーフといった一流選手たちを連れて来ることに成功し、96-97シーズンは国内リーグ6位、FAカップ優勝という非常に満足できるものとなった。新加入選手の中でもとりわけサポーターから愛されていたゾラは、このシーズンにFWA選出の最優秀選手を受賞している。
 成績的にも、メディア的にも、チェルシーの存在が際立つようになってきたのはこの頃だろう。今ほどではないが、高額な選手が頻繁に出入りするクラブというイメージを周囲は持つようになっていく。

 翌1997-98シーズン、ウルグアイ代表ポジェやイングランド代表ルソーらを加えたチームは国内リーグで2位につけ、順調に進んでいるかのように見えたが、シーズン途中にフリット監督は辞任。後釜に座ったのはこちらも選手兼となるビアリであった。このシーズンのチェルシーは、最終的に、国内リーグの順位は4位にまで落としたが、欧州カップウィナーズカップ優勝と国内リーグカップ優勝という2つのタイトルを獲得することに成功している。
 以後はビアリが監督業に専念し、フランス代表デサイーやスペイン代表フェレールらを獲得してチームを強化すると、チェルシーは国内リーグでも上位チームの常連となっていった。98-99は国内リーグ3位となり、ビアリ監督の最終シーズンである99-00にはFAカップ優勝も遂げている。

 ビアリ以後、2000年から4シーズンに渡り監督を務めたのは同じイタリア人であるラニエリだった。イタリアやスペインで中位にいたチームを率いて上位へ引き上げ評価を受けてきた監督である。ラニエリはプレミアリーグ得点王の経験もあるオランダ人FWハッセルバインクやクロアチア代表スタニッチ、イタリア代表パヌッチらを補強し、実際、ハッセルバインクは加入後すぐに得点王となる活躍を見せるがチームは振るわず、00-01は6位に終わる。続く01-02も6位、02-03が4位、いずれも無冠であった。
 クラブは選手補強などに投資しただけの結果をピッチ上で得ることができず、負債額は膨らむ一方で、いよいよ破産の危機に直面していく。こういった状況下で起こったのが、2003年7月のアブラモビッチによるチェルシー買収である。

 アブラモビッチの潤沢な資金を元に、新生チェルシーはアルゼンチン代表のクレスポとベロン、ルーマニア代表のムトゥ、アイルランド代表のダフら高額選手を次々に補強すると、移籍マーケットが閉じる間際にレアル・マドリードからフランス代表マケレレを獲得することにも成功する。また、選手だけでなく、マンチェスター・ユナイテッドの最高責任者ピーター・ケニオンを引き抜いたところなどには、アブラモビッチの一筋縄ではいかない優れた手腕が窺い知れる。
 一気に豪華なメンバーが集まった03-04は、過去3年間を無冠で終えていたラニエリ監督にとって最後のチャンスであった。しかし、ファンの期待は叶わず、このシーズンもチェルシーがタイトルを獲ることはない。数字だけ見れば国内リーグ2位、欧州CLではクラブ初のベスト4進出を果たしたわけだが、内容はというと、アーセナルの無敗優勝と伏兵モナコによるスタンフォード・ブリッジでの逆転劇だった。そしてラニエリのチェルシーが屈したモナコを、決勝で沈め見事にポルトを欧州王者へ導いたポルトガル人監督ジョゼ・モウリーニョが、04-05の新監督となる。

 初年度で見事にリーグ優勝を遂げたモウリーニョ監督率いるチェルシー最大の特徴は、年齢的に若くハングリー精神に溢れた選手が多いということだろう。すでにスターとしての地位を確立しているハッセルバインク、クレスポ、ベロンといった選手たちには見向きもせず、まだ欧州のトップリーグで実績のないドログバ、ケズマン、ロッベンらを補強した。ポルト時代にモウリーニョの下で欧州CLを制したリカルド・カルバーリョやパウロ・フェレイラも、ポルトガルリーグでしかプレー経験がないという意味では、やはり後者に分類されるだろう。
 強豪クラブとしての列記とした伝統を持たないチェルシーは、04-05シーズンのプレミアリーグで最も野心的なメンバーを揃えることにより、リーグ優勝を飾ったのである。もちろんアブラモビッチの資金力やモウリーニョの管理能力が果たした役割や、選手個人の活躍も無視できない。

 いずれにしても、長い歴史を持つ世界屈指のリーグで50年間も優勝から遠ざかっていたクラブを頂点へ導くのは簡単なことではないはずだ。とりわけ近年のプレミアリーグはマンチェスター・ユナイテッドとアーセナルという2強によって完全に独占されていた。
 それだけに昨季のクラブ史上2回目となる国内リーグ制覇は大きな意味を持っていると考えられ、成長著しいエースのランパード、キャプテンのテリー、チェコの若き守護神ツェフ、そして数少ない既存のワールドクラスである後方の要塞マケレレ、ベンチの名将モウリーニョ、彼らはチェルシーというクラブの歴史に新たな素晴しい1ページを刻んだといえるだろう。ちなみに、04-05のリーグMVP投票では、FWA選出がランパード、PFA選出がテリーとなっている。

 アブラモビッチがオーナーになる前は、主にセリエAから即戦力となる選手や監督を数多く引き抜いて“多国籍軍団”と呼ばれ、いくつかのカップ戦でタイトルも獲得していたが、それでも届かなかったのがプレミアリーグ制覇であった。そんな中、売れっ子ポルトガル人監督の下、若く伸び盛りな選手を中心に集めた現在のチェルシーが見事に念願のタイトル奪取に成功したというのは興味深い。
 昨季のリーグ制覇は、歴史的に見れば50年に1度の偉業だが、現在の主力選手の平均年齢を考えれば、これからもチェルシーの力が増していくであろうと予想するほうが極めて自然だろう。迎える2005-2006シーズン、1905年に創立し1955年に初めてリーグを制し2005年に2度目のリーグ優勝を果たしたチェルシーの新しい100年が始まったのだいえる。