« レアル・サラゴサ | メイン | アスレティック・ビルバオ »
《正式名称》 Club Atlético de Madrid, SAD
《ユニフォームカラー》 赤/白/青
【本拠地】 マドリード
【創立】 1903年
【スタジアム】 ビセンテ・カルデロン
【スタジアム収容人数】 54,851人
【国内タイトル】 国内リーグ:9回、国内カップ:9回、国内スーパーカップ:1回
【国際タイトル】 欧州カップウィナーズカップ:1回、インターコンチネンタルカップ:1回
【過去の所属選手】 ルイス・アラゴネス、シュスター、パウロ・フットレ、キコ、シメオネ
【現在の会長】 エンリケ・セレソ
【現在の監督】 カルロス・ビアンキ
【現在の所属選手】 フェルナンド・トーレス、ケズマン、マルティン・ペトロフ、マキシ・ロドリゲス、ペレア
【昨季の成績】 国内リーグ11位
エル・ブランコと同じスペインの首都に本拠地を置くアトレティコ・マドリードは、マドリード第二のクラブであり、スペイン第三のクラブでもあったが、近年の低迷とバレンシアの躍進によりその地位を脅かされつつある。とは言っても、前回優勝は1995年であり、それからちょうど今季が10年目にあたるのだが、この短い期間に2部降格だけでなく、へスス・ヒル会長の逮捕、サポーターによる刺殺事件など多くのスキャンダルを経験したことは、名門クラブにとって屈辱的だったに違いない。
国王のクラブとしてスペイン一の人気を誇り富裕階級に多くのファンを抱えるレアル・マドリードに対して、労働者階級のファン層に支持されてきたアトレティコ・マドリードは、その名前やユニフォームにも表れている通り、アスレティック・ビルバオと深い関係にある。アトレティコ・マドリードは、バスク人の手によりアスレティック・ビルバオのマドリード版として1903年に「アスレティック・クラブ・デ・マドリード」という名で設立されたといわれていて、以降は本家に勝るとも劣らない成績を残してきた。
「アスレティック・クラブ・デ・マドリード」として始まったチームは1928年スペイン・リーグ創設時から参加するも、当初は降格圏をさまよう中小クラブであった。そして1936~1939年の期間、スペイン内戦によりリーグが中断すると、主力8人が戦死し、存続のために空軍(アビアシオン)の精鋭チームと合併することとなり、アスレティック・アビアシオンに改名する。数ヵ月後には外国語の名前を付けることを許さないフランコ将軍の命令によりアトレティコ・アビアシオンに変更されたが、チームはリカルド・サモラ監督の下で力を発揮し、1939年に再開された国内リーグで初優勝を果たしただけでなく連覇まで達成している。
第二次世界大戦後、クラブ名から軍隊用語は外すことになり、現在と同じアトレティコ・マドリードという名称になったのは1947年のことだが、この年にレアル・マドリードを5-0で破るなど、その勢いを増しつつあったといえる。
のちにバルセロナやインテル・ミラノに多くのタイトルをもたらしたアルゼンチン人の名将エレニオ・エレラが就任してからは、モロッコ人ベン・バレクらを擁するチームが1949-1950シーズン、1950-1951シーズンと国内リーグ連覇を遂げ、エレラが去って以降も、スペイン第三のクラブに相応しい成績を挙げ続けた。
惜しむらくは、同時期に全盛期を迎えていたディステファノのレアル・マドリード、クバラのバルセロナが強過ぎて、国内でタイトルを積むことができず、欧州カップにもその名を刻めなかったことだろう。1959年には欧州CCの準決勝まで駒を進めているが、やはり立ちはだかったのは連覇を続けている隣のクラブであった。
1961-1962シーズンにはクラブ史上初で、現在も唯一となっている欧州カップ優勝を欧州カップウィナーズカップで果たした。1962-1963、1985-1986シーズンにも欧州カップウィナーズカップ決勝に進出したがこちらは共に敗退している。
国内で強豪としての地位を固め、以降も1966年、1969年、1973年にリーグ優勝をしているが、アトレティコ史上に残る決勝戦と言えば、アルゼンチン人監督ファン・カルロス・ロレンソの下、ルイス・アラゴネスやハビエル・イルレタらを有するチームが1974年に全盛期のバイエルン・ミュンヘンと対戦した欧州CC決勝であろう。
ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラー、ブライトナー、ゼップ・マイヤーらを揃え、まさに全盛期を迎えつつあるバイエルンを相手にアトレティコは善戦し、延長戦に入ってついにルイス・アラゴネスが先制したのだが、終了30秒前に追いつかれ引き分けに持ち込まれる。再試合では0-4の大敗を喫し、欧州CC制覇の夢は夢のままで終わったのだった。
ちなみに、バイエルンが翌年のインターコンチネンタルカップの出場を辞退したため、アトレティコは代替出場ではあるが、アルゼンチンのインデペンディエンテに勝利し、タイトルを手にしている。
1960~1970年代以降、国内連覇や欧州CC決勝進出はないが、1990年代前半にはポルトガルのパウロ・フットレ、ドイツのシュスター、スペインのマノロといったスター選手を軸に国内カップを連覇した。
そして近年、最も成功したといえるのが、生え抜きの人気選手であるキコ、アルゼンチンの潰し屋シメオネらを中心に国内リーグと国内カップの2冠を達成した1995-1996シーズン。翌年の欧州CLでも準々決勝まで進出した。
しかし以降は急降下し、クラブ運営面で失敗を続け、イタリア人選手の加入(ビエリ、ベントゥーリン、トリージ)やイタリア人監督の招聘(アリゴ・サッキ、ラニエリ)などもあったが結局チームは崩壊し、とうとう1999-2000シーズンには多くの有名選手(ハッセルバインク、ホセ・マリ、ソラーリ、ジュニーニョ・パウリスタ、バレロン、バラハ、ガマーラ、モリーナ)を揃えながらも降格してしまう。
2002年1部復帰後も上位に食い込むことはできずにいるが、新シーズンはアルゼンチン人の名将カルロス・ビアンキ監督を迎え入れ、大型補強を敢行し、古豪復活を目指している。各国代表選手を多く抱えているが、中でも、毎年チームのトップスコアラーであり、地元カンテラ出身でもある若いスター選手フェルナンド・トーレスにかかる期待は大きいだろう。