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デポルティーボ・ラ・コルーニャ

《正式名称》 Real Club Deportivo de la Coruña
《ユニフォームカラー》 青/白

【本拠地】 ラ・コルーニャ
【創立】 1906年
【スタジアム】 リアソール
【スタジアム収容人数】 34,611人

【国内タイトル】 国内リーグ:1回、国内カップ:2回、国内スーパーカップ:3回
【国際タイトル】 -
【過去の所属選手】 ベベット、ドナト、マウロ・シルバ、フラン、ジャウミーニャ

【現在の会長】 アウグスト・セサル・レンドイロ
【現在の監督】 ホアキン・カパロス
【現在の所属選手】 バレロン、トリスタン、セルヒオ、アンドラーデ、コロッチーニ

【昨季の成績】 国内リーグ8位

 デポルティボ・ラ・コルーニャはその名の通り、スペイン北西部、ポルトガルとの国境近くに位置するガリシア地方の長閑な港町ラ・コルーニャ(ガリシア語ではア・コルーニャ)に本拠を置いている。
 大陸性や地中海性の乾燥した気候に覆われているスペインにおいて、珍しく雨の多い地域として有名。郊外には「ヘラクレスの塔」という世界最古の灯台があり、車で一時間ほどのところには毎年世界中から多くの巡礼者が訪れるキリスト教の三大聖地の一つサンティアゴ・デ・コンポステラがある。
 スペインの漁獲高の25%を占めている国内最大の漁港として知られるラ・コルーニャであるが、かつて大航海時代に無敵艦隊と呼ばれたスペイン海軍の出向地として栄えた軍港であったという側面も持っている。ちなみに、スタジアム名のリアソールの「リア」はガリシア独特の湾を指し、「リアス式海岸」の由来となっている。

 クラブの創立は1906年と早いが、1941年に初めて1部に昇格してから1990年代に入るまでの長い間、目立った実績を挙げることもなく1部と2部を行き来する弱小クラブであった。同じガリシア州、ビーゴに本拠を置く最大のライバル、セルタ・デ・ビーゴも小さなクラブで、実績も似たようなものだったが、1988年に現在の会長レンドイロがデポルティーボの会長に就任し変化が訪れる。

 10年以上2部で過ごしていたクラブが1991年に昇格すると、1992年にブラジル代表ベベット、マウロ・シルバらを加えたチームは一気に1部で躍進し、スーペル・デポルと呼ばれ国内リーグ3位、リーグ最小失点という好成績を挙げる。翌1993-1994シーズンにはブラジル人DFドナトも獲得し、驚異的な守備力を武器に首位を走るが、最終節に逆転でリーグ優勝を逃してしまう。(国内リーグ2位)しかし、このシーズンの失点率(1試合平均の失点数が歴代最小記録)は、いまだに破られていない。

 1994-1995シーズンには、またリーグ2位になるが、このときは念願のクラブ初タイトルとなるコパ・デル・レイを手にした。
 その後もリバウド、フラビオ・コンセイソン、ジャウミーニャら多くのブラジル人選手を獲得し、彼らの素晴しい活躍と共にレンドイロのデポルティーボは栄光を築いていく。ポルトガルに近いことからガリシア地方の言葉はポルトガル語に似ていると言われるが、多くのブラジル人選手がすぐに馴染み実力を発揮してきたのはそのためかもしれない。

 近年のデポルティーボの成功を語るとき、レンドイロ会長、ブラジル人選手と同様、触れなくてはならないのが、昨年まで7年間指揮をとり続けた名将ハビエル・イルレタだろう。1998年に就任すると、世界的にブームを巻き起こした4-2-3-1システムを作り上げ、1999-2000シーズンにはついに国内リーグ初優勝を成し遂げる。
 また、イルレタ監督のデポルティーボは、国内リーグで確固たる地位を築いただけでなく、2000年から4年連続CL出場を果たすと素晴しい成績(ベスト4が1回、ベスト8が2回)を残し、その名を欧州中に知らしめている。
 国内リーグでも2001-2002シーズン(チームは2位)にディエゴ・トリスタン、2002-2003シーズン(チームは3位)にマカーイが続けて得点王になるなど、まさにクラブ史上で最も輝かしいときを迎えていたといえる。

 しかし、欧州CLベスト4の翌年にあたる昨季は、主力の高齢化やチームのマンネリ化から低迷し、クラブを象徴する二人のベテラン選手フラン、マウロ・シルバが引退を表明、そしてとうとうオフにイルレタ監督も退任することとなり、一時代の終わりを感じさせる時期に入っている。
 新シーズン前には、セビージャを率いていたホアキン・カパロスを監督に迎え、インタートト杯を戦ったが、あえなく決勝で敗退を喫した。あと一歩の所でUEFA杯の出場権を得られなかったわけだが、そもそも効果的な補強ができたとはいえない状況にあるので、国内リーグに専念できる環境が整ったという見方もできるだろう。