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ウルグアイ

uruguay_sm05.bmpuruguay.bmp《正式名称》 República Oriental del Uruguay
《ユニフォームカラー》 水色/黒/黒

【通称】 Uruguay
【首都】 モンテビデオuruguay-e.gif
【言語】 スペイン語
【国土】 176,220 km²uruguay04-au.gifuruguay04-hu.gif
【人口】 340万人

【協会創立】 1900年
【FIFA加盟】 1923年

【W杯出場】 10回 (優勝2回=1930、1950)
【五輪出場】 2回 (優勝2回=1924、1928)
【コパ・アメリカ優勝】 13回
【過去の有名選手】 ホセ・ナサシ、ホセ・アンドラーデ、サンタマリア、スキアフィーノ、フランチェスコリ

【現在の監督】 ホルヘ・フォサッティ
【現在の有名選手】 フォルラン、レコバ、パブロ・ガルシア

【FIFA略称】 URU
【FIFA世界ランキング】 23位

 ブラジル、アルゼンチンという2大国と海の3つに囲まれた南米の小国だが、サッカーの世界では泣く子も黙る古豪中の古豪。1924年パリ五輪、それまで交流のなかった南米からウルグアイがやってきて、圧倒的な強さで優勝してしまったのを観たヨーロッパの人々はさぞかし驚いたに違いない。
 “生まれながらのキャプテン”と呼ばれたナサシや“黒い驚異”と恐れられたホセ・アンドラーデに率いられたウルグアイ代表は、1928年アムステルダム五輪も制覇、これと同時期のコパ・アメリカでは1923年、1924年、1926年に優勝、そして極め付けは1930年第1回ワールドカップ優勝である。

 移動手段が船しかなかったこともあり南米に来ようとしなかった欧州諸国への反発から、ヨーロッパで行われた1934年、1938年のワールドカップには参加しなかったが、戦後初の大会となった1950年ブラジル大会でも優勝し、サッカー史にその名をしっかり刻んでいる。当時のウルグアイにはスキアフィーノ、ギジャといった新しいスター選手が生まれていた。
 1950年大会は1次リーグの勝者4チームで優勝を争う“決勝リーグ”方式が採用されていたが、事実上の決勝となった開催国ブラジル戦において、ウルグアイ代表はマラカナン・スタジアムで21万人の大観衆を前に見事な逆転勝利を演じている。この敗戦のショックにより、ブラジル代表がユニフォームを現在のカナリア・カラーに変更したという話はあまりにも有名。

 ちなみに、ウルグアイの人種構成としてはアルゼンチン同様、スペイン系やイタリア系の白人が多いが、メスティーソや黒人も珍しくはない。まさにブラジルとアルゼンチンの間に位置する国、といったところか。しかしサッカーのスタイルでは、アルゼンチンによく似ていて(もしくはそれ以上に)、激しいプレーが特徴となっている。
 各ポジションに優れた選手を輩出しているが、特筆すべきはディフェンダーだろう。古くは1924年、1928年の両五輪優勝と1930年のW杯優勝に大きく貢献した“生まれながらのキャプテン”ことホセ・ナサシ、1950~60年代にレアル・マドリードの最終ラインを支えたホセ・サンタマリア、1980年代にリベルタドーレス杯を3度制し“優勝請負人”とまで呼ばれたウーゴ・デレオン、最近ではイタリアのユベントスで長く活躍したパオロ・モンテーロらが有名。
 もちろん南米だけあり、“ゴールの詩人”という愛称で親しまれたルベン・ソサや、フランスのジダンが憧れの選手として挙げているエンツォ・フランチェスコリ、現在ではインテルのアルバロ・レコバなど、テクニシャンたちも生み出している。