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2005年07月24日

ワールドカップの始まり

 ワールドカップは今から遡ること75年前、1930年に当時、国際サッカー連盟会長であったフランス人ジュール・リメの提唱によって誕生した。
 アマチュアしか参加できなかったオリンピックとは違う、プロフェッショナルも交えた各国代表チームによる真の世界チャンピオンを決定する世界選手権を組織しようと創設されたのだ。
 記念すべき第1回大会の開催国は、ちょうど1930年が建国100周年にあたり、また、1924年パリ五輪、1928年アムステルダム五輪で連続優勝を果たしていたウルグアイに決まった。
 ちなみに、ワールドカップの優勝トロフィーは、創始者の名を受け継ぎ「ジュール・リメ杯」と呼ばれていたが、1970年にブラジルが3度目の優勝を果たし、そのトロフィーを永久保存しているため、現在のトロフィーは「FIFAワールドカップ杯」に代わっている。

投稿者 kitamura : 14:38 | コメント (0)

2005年07月23日

第1回 1930年ウルグアイ大会

【優勝国】ウルグアイ
【予選出場チーム】なし
【本大会出場チーム】13

 フランス人ジュール・リメの提唱により始まったワールドカップだが、当時は移動手段が船しかなかったため、ヨーロッパ諸国は開催国ウルグアイまで2週間の長旅をしなければならなかった。そういったこともあり、サッカー先進地域であるヨーロッパからはフランス、ユーゴスラビア、ルーマニア、ベルギーの4ヶ国が参加したのみで、南米からはウルグアイ、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、チリ、ペルー、ボリビアの7ヶ国、北中米からはメキシコ、アメリカ合衆国の2ヶ国、合計でも参加国数は13に留まっている。
 結果的には前評判通り、ウルグアイが見事に初優勝を遂げた。ホセ・ナサシやホセ・アンドラーデといったスター選手を擁する開催国の圧勝だったといえる。当時のウルグアイの強さは、1924年パリ五輪、1928年アムステルダム五輪を連覇していたことからも分かるだろう。

投稿者 kitamura : 14:47 | コメント (0)

2005年07月22日

第2回 1934年イタリア大会

【優勝国】イタリア
【予選出場チーム】32
【本大会出場チーム】16

 第1回大会が大成功に終わったことで、第2回大会は、開催地立候補13ヶ国、予選出場32ヶ国と、ワールドカップの規模は一回り大きくなった。
 前回王者のウルグアイは、自国大会で多くの欧州諸国が参加を辞退したことに抗議する意味を込めて出場を拒否、アルゼンチンやブラジルもベストメンバーを送らないといった手段で抗議したが、全体としては大きなイベントとなる。
 しかし、この大会を語る上で避けては通れないのが、開催国イタリアの独裁者ムッソリーニである。どうしても勝ちたいムッソリーニは、まず大会前にイタリア国内でプレーする多くのアルゼンチン人選手を強制的に帰化させチームを強化し南米諸国の反感を買い、本大会でも数多くの不可解な判定が代表チームを救ったことで非難の的となった。
 ヒトラーの1936年ベルリン五輪の例を出すまでもなく、いつの時代も得てして独裁者は対外戦略や国家高揚のためにスポーツの大会を利用した。この大会はその典型とも呼べる形となり、イタリア優勝で幕を閉じると共に、世界情勢は戦渦へと突入するのだった。

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2005年07月21日

第3回 1938年フランス大会

【優勝国】イタリア
【予選出場チーム】36
【本大会出場チーム】16(15)

 ワールドカップ創始者ジュール・リメの母国フランスで開催された第3回大会だが、この頃になると戦争の影響が深刻になり始める。
 優勝候補だったオーストリアは、予選を突破するも、ドイツに併合され棄権。初めて予選にエントリーした日本も戦争の影響で辞退する。
 スペインは内戦に突入し、ウルグアイは不参加、また、前回大会からムッソリーニのイタリア代表に多くの主力選手を引き抜かれ続けていたアルゼンチンもとうとう参加を拒否。
 1938年フランス大会は、前回より規模を拡大しつつも第二次対戦の影響を免れることはできなった大会だったといえる。結果は、イタリアの連覇となり、これを境に、ワールドカップは12年間の中断を余儀なくされる。

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2005年07月20日

第4回 1950年ブラジル大会

【優勝国】ウルグアイ
【予選出場チーム】32
【本大会出場チーム】13

 第二次世界大戦の影響で12年間中断していたワールドカップが再開されたのが1950年のブラジル大会。当時、最強を自負し参加を拒んでいたサッカーの母国イングランドをはじめとする英国4協会も初エントリーするなど、本格的なワールドカップはここから始まったといえるかもしれない。
 しかし、まだ組織が脆弱だったことや、大戦が終わって間もなかったことなどもあり、予選途中での棄権が多く、本大会は13チームのみの参加となった。
 大会自体は大いに盛り上がりを見せ、ブラジルを代表する巨大スタジアム・マラカナンは20万人の熱狂的な観客で埋まっていたといわれる。決勝は、開催国ブラジル、ウルグアイ、スペイン、スウェーデンの4ヶ国でリーグ戦が行われ、ウルグアイが第1回大会以来となる2回目の優勝を飾ることとなった。

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2005年07月19日

第5回 1954年スイス大会

【優勝国】西ドイツ
【予選出場チーム】41
【本大会出場チーム】16

 過去最多の41チームがエントリーし、この大会以降、地に足を付けてワールドカップは徐々に規模を大きくしていくこととなる。このとき日本も初めて予選に参加したが韓国に敗れている。
 本大会はグループリーグを4つに別けて行い、勝ち残った1位同士と2位同士が決勝トーナメントで戦うというもので、前評判では当時最強を誇った「マジック・マジャール」、プスカシュ率いるハンガリー代表が絶対的な優勝候補だった。
 大会前まで50試合無敗、1952年ロンドン五輪優勝、1953年にはサッカーの母国イングランドを聖地ウェンブリーで破るといったように、無敵そのものであったといえよう。
 大会が始まっても圧倒的な内容で決勝まで駒を進めたハンガリーだが、決勝では途中から怪我でエース・プスカシュを欠いたこともあり、西ドイツの気迫の前に屈することとなった。

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2005年07月18日

第6回 1958年スウェーデン大会

【優勝国】ブラジル
【予選出場チーム】53
【本大会出場チーム】14

 エントリー数は53ヶ国、予選全試合の合計で集まった観客の数は500万人、そして初めて本大会が全世界にTV中継された。名実共に“ワールドカップ”として認知されたのはこの大会かもしれない。
 ベスト4には、ヘルムート・ラーンやウーべ・ゼーラーを擁する前回王者の西ドイツ、天才ガリンシャ、ゲームメイカーのジジ、点取り屋ババ、17歳のペレら豪華メンバーを揃えたブラジル、コパとフォンテーヌの名コンビが率いるフランス、それまでの慣例を破りイタリアでプレーするプロ選手を招集しベストメンバーで臨んだ地元スウェーデン、という個性豊かな強国が残った。
 決勝はテクニックで勝るブラジルが5-2でスウェーデンを圧倒し、ペレらの素晴しいプレーの数々は地元スウェーデンのファンにも賞賛された。

投稿者 kitamura : 16:22 | コメント (0)

2005年07月17日

第7回 1962年チリ大会

【優勝国】ブラジル
【予選出場チーム】54
【本大会出場チーム】16

 1950年のブラジル大会以来、1954年スイス大会、1958年スウェーデン大会と欧州開催が続いていたが、12年ぶりに南米へワールドカップが戻ってきた。1960年に大震災に見舞われ多くの被害を出したチリが大会の招致に成功したのだ。
 ちなみに、「私たちには何もない。だからワールドカップを開催しなければならない」と語ったディトボルン・チリ協会会長は大会直前に亡くなり、残念ながら本大会を目にすることができなかった。

 過剰にフィジカルなプレーの目立った大会で、前回大会優勝メンバーの内、多くの主力を残し優勝候補の筆頭であるブラジルは、早々に怪我でペレを失うこととなる。しかし、ペレより巧かったとさえ言われることもある天才ドリブラー、当時「悪魔の化身」と呼ばれ恐れられたガリンシャの活躍で、結局はブラジルが連覇を達成したのだった。
 この大会はまさにガリンシャの独壇場で、1986年のマラドーナと並んで評価されるほどその活躍が際立っていたといわれる。

投稿者 kitamura : 20:09 | コメント (0)

2005年07月16日

第8回 1966年イングランド大会

【優勝国】イングランド
【予選出場チーム】72
【本大会出場チーム】16

 第8回目にして初めて「サッカーの母国」で開催された1966年イングランド大会。ペレの負傷などもありグループリーグで姿を消した優勝候補ブラジルの敗退、そのブラジルを葬り去り初出場にして3位まで駒を進めたエウゼビオ率いるポルトガルの躍進、強国イタリアを破るなどしてベスト8進出を果たした北朝鮮の健闘など、話題に溢れた大会となった。
 決勝はボビー・チャールトン、ゴードン・バンクス、ボビー・ムーアらを擁する地元イングランドと、若きベッケンバウアーを筆頭に好メンバーを揃えた西ドイツの対戦で、この試合でも、ゴールと認められたイングランドのハーストのシュートが本当にゴールラインを越えていたか否かが論争になるなど、とにかく話題に事欠かない大会だったといえる。最終的には母国の初優勝で幕を閉じることとなった。

投稿者 kitamura : 20:33 | コメント (0)

2005年07月15日

第9回 1970年メキシコ大会

【優勝国】ブラジル
【予選出場チーム】73
【本大会出場チーム】16

 高地メキシコでの開催、そしてヨーロッパのテレビ放映時間に合わせたキックオフ(ヨーロッパのテレビ局の要求によって一部の試合が暑い正午に開始されることになった)など、大会前は多くの問題が指摘された。初めて選手交代が認められるようになり、イエローカードやレッド・カードが導入されたのもこの大会からである。
 未知な要素の多い大会だったが、蓋を開けてみると、ラフ・プレーが少なく、また、高地で暑い時間帯での試合も多かったため、体力づくではなく技術水準の高い試合が多くなり、スポーツとしてスリリングで面白いものになったといわれている。
 優勝カップは評判通り、ペレ、トスタン、リベリーノ、ジェルソン、ジャイルジーニョ、カルロス・アルベルトらを揃え、攻撃的で穴のない完璧なチームを作り上げたブラジルが手にする。ちなみに、この大会で3回目のワールドカップ優勝を果たしたブラジルは、規定により、ジュール・リメ杯の永久保有権を得ている。

投稿者 kitamura : 15:23 | コメント (0)

2005年07月14日

第10回 1974年西ドイツ大会

【優勝国】西ドイツ
【予選出場チーム】95
【本大会出場チーム】16

 第10回を迎え、エントリー数は95ヶ国、そして前回大会でブラジルがジュール・リメ杯を永久保持することになったため、優勝杯は「FIFAワールドカップ」という新しい純金製のものへ代わった。カラー映像のテレビ放送が開始されたのも、ちょうどこの頃だ。
 東ドイツ、ハイチ、オーストラリア、ザイールといったマイナー諸国の初出場、ハンガリー、スペイン、フランス、イングランドといった強国の予選敗退、1970年大会で代表を引退したペレのいないブラジル代表、本大会1次リーグで実現した東西ドイツの激突など、まさに“新しい時代の大会”を象徴するような幕開けとなった。

 そして、この“新しい時代の大会”の主役となったのはヨーロッパが生んだ二人のスーパースター、「空飛ぶオランダ人」ヨハン・クライフと「皇帝」フランツ・ベッケンバウアーである。
 この二人に率いられ、決勝は、全員がグラウンドを駆け回り激しいポジションチェンジを繰り返す革新的なスタイル「トータル・フットボール」を披露し大会を席巻したオランダ代表と、最後まで勝負を諦めない姿勢と「爆撃機」ゲルト・ミュラーの決定力で勝ち上がってきた西ドイツ代表の対戦となる。
 結末は、まず大会を通じて華麗なサッカーで相手を圧倒してきたオランダがクライフのドリブルからPKを得て先制するも、最後には粘り強い戦いで這い上がってきた西ドイツがミュラーのゴールで逆転勝利し地元優勝を飾る、という印象的なものになった。

投稿者 kitamura : 21:13 | コメント (0)

2005年07月13日

第11回 1978年アルゼンチン大会

【優勝国】アルゼンチン
【予選出場チーム】105
【本大会出場チーム】16

 この大会から、とうとうエントリー数は100ヶ国を超えた。軍事政権による弾圧と抵抗の真っ只中にあったアルゼンチンでの開催ということもあり、当初は不安も付きまとったが、大会自体は、長く低迷していた地元アルゼンチンが名将メノッティに率いられ順当に初優勝を遂げるという大きな波乱のないものになった。
 スペインで2年連続得点王に輝いた英雄マリオ・ケンペスが今大会の得点王になり、他にも、南米人としては珍しくイングランドの地で成功したアルディレスがいたし、またキャプテンのパサレラは大会後にイタリアで活躍している、といったようにアルゼンチンは優勝に相応しいメンバーを揃えていたといえよう。
 ヨーロッパの2大スターであるクライフとベッケンバウアーは不参加、22歳の若きプラティニはグループリーグでその才能の片鱗を見せるに止まっている。
 ちなみに、アルゼンチンが生んだ稀代の天才マラドーナは当時弱冠17歳、すでにA代表デビューはしていたが、若過ぎるという理由で本大会のメンバーからは外れている。

投稿者 kitamura : 22:24 | コメント (0)

2005年07月12日

第12回 1982年スペイン大会

【優勝国】イタリア
【予選出場チーム】107
【本大会出場チーム】24

 前回大会からエントリー数が100ヶ国を超えたこともあり、今大会から本大会出場チーム数が24に増えた。また、多くの強国が世代交代の時期にあった前回大会と比べ、1982年スペイン大会は開催国の気質に合った非常に華やかな大会になるであろうと予感させるスターが顔を揃えている。
 見事な攻撃サッカーを披露し「黄金のカルテット」と呼ばれたジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾを擁するブラジル、華麗なパスワークを奏で「三銃士」と形容されたプラティニ、ジレス、ティガナのフランス、ワールドカップ初出場となる21歳のマラドーナが加わったアルゼンチン。
 多くのスターが「情熱の国」に集ったスペイン大会だが、肝心の地元スペインは振るわず、また、世界中のファンを魅了したブラジルとフランスの攻撃的なサッカーが、結果的に、守備の国であるイタリアと西ドイツの前に屈したというのは何とも皮肉である。
 イタリアは苦渋の末、大会前に八百長事件への関与で出場停止中だったロッシへの処分を解除しワールドカップに連れて行ったわけだが、それが功を奏し、ロッシの大活躍で大会を制することとなった。

投稿者 kitamura : 23:29 | コメント (0)

2005年07月11日

第13回 1986年メキシコ大会

【優勝国】アルゼンチン
【予選出場チーム】119
【本大会出場チーム】24

 当初はコロンビアでの開催が決まっていたが、経済の悪化から1983年にコロンビア側が世界最大のサッカー大会を運営する力がないと申し出たことにより、大会史上初となるメキシコでの2回目の開催が決定した。
 後に「マラドーナの大会」と呼ばれたように、マラドーナが卓越した技術を発揮しアルゼンチンは優勝まで辿り着いている。
 マラドーナのプレーを褒める意味で「ほぼ一人の力でワールドカップを獲った唯一の大会」とさえいわれることもある。サッカーファンなら誰でも知っている「神の手」や「五人抜き」といった伝説的なゴールが生まれたのがこの大会である。

 前回大会で決勝まで駒を進めた西ドイツはルンメニゲ、フェラー、リトバルスキー、ブレーメ、マテウスら好タレントを多く揃えていたが、今大会も準優勝に甘んじることとなった。
 ベスト4で西ドイツに敗れはしたものの、前回大会以上に中盤で美しいパスワークを披露したプラティニ、ジレス、ティガナ、フェルナンデスを擁するフランスも称賛された。
 なお、エースのジーコが怪我を抱えていて本来の力を発揮できなかったブラジルは大きなインパクトを残せずに終わっている。

投稿者 kitamura : 20:03 | コメント (0)

2005年07月10日

第14回 1990年イタリア大会

【優勝国】西ドイツ
【予選出場チーム】114
【本大会出場チーム】24

 当時、世界最強リーグを誇っていたイタリアでの開催ということもあり、期待は高まった。実際、この大会を彩るはずの多くのスター選手はセリエAでプレーしていた。
 決勝で敗れたアルゼンチンのマラドーナ、王国ブラジルのカレカは共にナポリで、優勝した西ドイツのマテウス、ブレーメ、クリンスマンはインテルミラノで、その西ドイツに敗れたオランダのファンバステン、フリット、ライカールトはACミランで、それぞれ中心選手としてプレーしていたのだ。
 準決勝でマラドーナの前に屈した地元イタリアには若きロベルト・バッジョ、スキラッチ、バレージらがいた。
 セリエAでプレーするスター選手以外にも、イングランドはリネカー、ガスコイン、ブライアン・ロブソン、スペインはブトラゲーニョ、ミチェル、マルティン・バスケスら自国のスターたちをそれぞれ引き連れてきた。他にもカメルーンのロジェ・ミラ、ユーゴスラビアのストイコビッチといったように好タレントには事欠かない大会だったといえる。
 しかし、終わってみれば守りを固めた退屈な試合とPKの多い期待外れの大会だったといわれることが多いのは残念なことである。とりわけ、満身創痍の英雄マラドーナがイタリア国民のブーイングを浴びる中、西ドイツがPKでの1点を守りきった決勝戦は「史上最低の決勝」とさえいわれている。

投稿者 kitamura : 20:32 | コメント (0)

2005年07月09日

第15回 1994年アメリカ大会

【優勝国】ブラジル
【予選出場チーム】145
【本大会出場チーム】24

 サッカー未開の地、アメリカ合衆国での開催。ヨーロッパと中南米以外の地域で開催された初めての大会なので、不安視される要素がいくつもあった。
 結局、観客の動員には成功したが、移動距離の長さや、ヨーロッパのテレビ中継に合わせた日中のキックオフなどで、各チームはサッカーとは別の部分で苦しんだというのも事実だろう。前回大会ほどではないにしても、猛暑の中での試合が多かったので、技術よりもタフさや狡猾さがモノを言う展開が多くなっている。

 しかし、そんな中、華奢な体から誰よりも強烈な輝きを放ったのが優勝国ブラジルの悪童ロマーリオと準優勝したイタリアの至宝ロベルト・バッジョという二人の天才たちであった。
 伏兵ブルガリアをベスト4に導き得点王にもなったストイチコフの活躍、42歳ロジェ・ミラのワールドカップ最高齢記録となるゴール、薬物検査に引っかかり途中で大会を追われたアルゼンチンの英雄マラドーナ、オウン・ゴールを入れてしまったコロンビアのエスコバルが帰国後に射殺された事件など、良くも悪くもエキセントリックな話題の溢れた大会だったといえる。
 ちなみに、有名な「ドーハの悲劇」で日本が出場を逃したのはこの大会である。

投稿者 kitamura : 21:11 | コメント (0)

2005年07月08日

第16回 1998年フランス大会

【優勝国】フランス
【予選出場チーム】172
【本大会出場チーム】32

 参加チームが32になり、予選には何と172の国と地域がエントリーした。1998年、ワールドカップ創始者ジュール・リメの母国で2度目の開催となるフランス大会、まだ記憶に新しい大会なのではなかろうか。それは日本が初めて本大会に出場したからに他ならない。日本のワールドカップの歴史は、まだ8年なのである。

 さて、日本は惜しくも未勝利で敗退することになったわけだが、このフランス大会は内容的に非常に評価の高い大会として語られている。
 優勝した地元フランスは、FW陣の決定力不足や、また途中で司令塔ジダンを出場停止で欠くなど、本調子とは言えない状況が続きながらも、持ち前の堅守と開催国の勢いで次々と難敵を退けていった。DFであるブランやテュラムのゴールなどで劇的にゲームを制するなど、基本的には堅実だが、観るものを飽きさせないスリリングな展開の試合を数多く見せてくれた。

 他にも、新しい時代の怪物ロナウドを擁するブラジル、クライファートやベルカンプといった非常に技術の高い選手を多く揃え攻撃サッカーを展開したオランダ、得点王になったスーケルや世界有数のゲームメイカーであるボバンらが率いるクロアチアの3つがベスト4に残ったが、いずれも特徴を生かした素晴しいゲームを披露し、大会にしっかり花を添えていたといえよう。

投稿者 kitamura : 15:18 | コメント (0)

2005年07月07日

第17回 2002年韓国・日本大会

【優勝国】ブラジル
【予選出場チーム】195
【本大会出場チーム】32

 前回の日韓大会はワールドカップ史上初となる共同での開催となった。海を挟んですぐの隣国同士ということもあり、実質的には例えばアメリカ合衆国の端から端まで行き来するよりは移動も数倍楽なわけだが、それでも単独では開催できないであろうアジアやアフリカなどの小国にとっては大きな出来事だったに違いない。

 しかし問題は、私たちが慣れている梅雨の時期の湿気であり、また、欧州サッカーの過密日程であったようだ。
 大した休息もなく東アジアへ渡って来たトップスターたちに、初夏の蒸し暑さは相当堪えたのだろう。優勝候補の一角を占める強豪国は揃ってエースの不調や怪我と連動するようにして姿を消している。フランスのジダンしかり、ポルトガルのフィーゴしかり、スペインのラウールしかり。
 優勝候補の中でも筆頭と目されていたアルゼンチンは少し事情が違い、こちらは選手も監督も「勝たなければいけない」というプレッシャーに潰されていた感は否めないだろう。

 一方、大会前は全く優勝候補には挙がらず、伸び伸びとプレーできていた2つの大国が決勝に残った。南米の王国ブラジルと欧州の強国ドイツである。
 神懸り的なセーブを連発する偉大なGKカーンに引っ張られ、決勝でも素晴しいサッカーを見せたドイツは大会前には大穴にも挙がっていなかった。優勝したブラジルもそうである、彼らはかつてないほど予選で苦しみ、やっとのことで日本へ辿り着いている。

 ブラジルの一番の勝因は、スペインのバルセロナであまり多くの試合をこなさずワールドカップに臨んだリバウドが正真正銘のエースとしてチームを牽引し、同じく前のシーズンを調整程度に抑えていた怪我明けの怪物ロナウドがゴールを積み重ね、フランスで気ままにプレーしつつ桧舞台でのデビューに向けて準備を整えていたロナウジーニョがピッチを自由に駆け回る、といったように主力のコンディションが万全だったことだろう。

 ちなみに、ベスト4の残り2枠に入ったのは、いずれも初入賞であるトルコと韓国である。日本は念願の初勝利と初のベスト16進出を果たすにとどまったが、大会自体は、優勝候補が軒並み倒れ、ダークホースが躍進したワールドカップだった、と言えるのではないだろうか。

投稿者 kitamura : 15:07 | コメント (0)